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8月, 2015の投稿を表示しています

あのおばさんは

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   あのおばさんは    左手に大きな袋を持ち    右手には又 袋を肩に背負い    その袋からは青いネギが見えた    小柄なおばさんでネギが入っている袋は    あいらしい色の花柄の袋で    もうなりふりかまわず ではないが歩いて       いる    その姿を道路の反対側から視野に入れて    ああもう肩の力を抜いてしどけなく    だらだらと自分をいたわって    袋だけはスキな袋を持った    あのおばさんのように    私も一つは愛らしいものを身にまとい    もう 自由界に    やさしい言葉だけを使い    生きていたい    生きていたい    クツ下を買ったさ    100円で    白に小さな黄色の水玉さ    うれしいさ    新しいクツ下さ    とってもうれしいさ    新しいんだもん    夏バージョンで    快適だもん    ちっちゃいけれど    イイなーと思う    うれしい事を一つ一つ    心に積み重ねて行けばイイ    そうすれば私の心は    いつかちっちゃなイイ事で    埋め尽くされて    そこで    遠い日の子どもの頃を思い出した    あの少女は原石と対峙した    何も知らなかった私を    あれからいろんな事を見・経験し    しゃべり 心を使い    生きのびて来た    まだまだ道は続くのだから    ちっちゃな うれしい事を    たとえば    今朝 散歩に行くので    母子草を見つけようとか    母子草がたくさんある所を知っているから    母子草を摘んで    そして、それをどうするの?    ヒミツ、    そのあとは 夢見る缶バッチ(FD2015002) 55㎜ 「四つ葉のクローバー」 240㎜ × 270㎜ 水彩 2006 (Exhibition " Rufus.Lin Art Museum / BC.CANADA)

夏の花(煮詰まった時には)

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煮詰まった時には  ルンルンルンルンコローン リリーン  ガラス玉を鳴らす夏だからね それから両腕を広げて青空に深呼吸をする 青空がなかったら子供の頃の真っ白い入道雲のモクモクと 青い空を思いえがいて駆け巡るんだ 自由に心くらいはどこにでも行ける 一番近い私を放つ自由な実験室 そこから顔を出す未知なる私に夢をたくして 煮詰まるな  さめた日常の反応のない  あれこれをそして  たった一つの事しか出来ないこの現代文明の中でふと  ひとりぼっちになる不安を押しのけよう 未来はきっとうまくいく 私が思い描いたようにきっとうまくいく それは清らかなトーンで私をヨイシャと納得させる 明るく楽しいもののはずだ ちょっぴり涙ぐんで又  あの日のように花束を空に高く放り投げる あの歓喜よ もう一度 110㎜ × 80㎜ 「夏の花・1」 pastel 2015 55㎜ × 80㎜ 「家の向日葵」 pastel 2015 110㎜ × 80㎜ 「夏の花・2」 pastel 2015 〜〜〜〜〜〜〜

ルドン作「グラン・ブーケ」の模写と「あの箱に」

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あの箱に何を入れようか 思っただけでドキドキする 千代箱の小さな箱 雑誌を見ていたら サンドイッチか紅茶かが ブルーの小花のきれいなお皿にもられていた ああイイなー 今日のお昼はカレー 気の利いたお皿もカップもない それでお皿とスプーンを磨いた ピカピカと光ったお皿とスプーン 感じ良かった 5時に起きて一杯のコーヒーを飲む 10分くらいのひとときが私の時間です せめて夢見ながら 夢見ながら 窓の外の遠くの空を見ながら 何か思う 正しいはずなのに思うように行かない 人の世 だから闘うというのだろう 幸福だなー 幸福だなー なにはともあれ幸福だなー 心配事はちょこっと隅に置いておいて 忘れましょう なにはともあれ幸福だなーと思えた 今の気持ちにひたりましょう やさしい気持ち のんびりした気持ち ちょっと涙ぐみたくなる気持ち ベットに横になり やすらかに眠る すべての重荷をおろして 心配事を忘れて 幸福の箱に 私を詰めて 眠る 770 ㎜ × 540 ㎜ ルドン作「グラン・ブーケ」の模写 PASTEL 2015

ナワトビ

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台風の後だから夕方散歩に出た。空がすっきりやはりきれいだ。風も吹き涼しく私の足は軽やかに運ぶ。スキな曲を聴きながら。午後6時過ぎだから通勤帰りの人に出会う。五日市線の小さな駅から下りて来た人たちだろう。数人が階段を下りて下の町に帰る。初老の男性を私は追い抜いた。もう帰りはクタクタなんだろうな。当たり前だよおじさん。 若い男女が二人自転車で私を追い抜いて行った。彼女は赤い帽子に赤いショートパンツ。 イイなー赤いパンツを目で追った。赤いショートパンツ、赤いズボン、赤いコールテンのズボン。十代の頃、赤いコールテンのズボンを気に入ってはいていた。私のスキなロック歌手は歌の中でボクのお正月の赤いコールテンのズボンを縫っているダーリンと歌っていた。私はその頃、彼の歌が大スキでまた歌っているその人が他人のように思えなくどこかで会った事のあるなつかしい人の様な。赤いコールテンのズボンなんて歌う人はもしかしたら腹違いの兄弟ではないのかと真剣に思って人探しをした事もあった。私は現在102歳の母の介護に明け暮れている。いつか幾つにもなれる自由な気分になれたならもう一度赤いズボンを履こう。その時は身体がもう少しスリムになって足がスキップする様でなくてはならない。その日の為には、足は鍛えておこうと思っている。そのつもりで朝、ナワトビ1000回はしている。だけれどこの頃、1日置きか週5日になってしまった。つまりやらない日は朝早く起きれないからだ。 その歌手に憧れた20年前は1日3000回跳んでいた。100回跳ぶのがやっとだったのに、3000回跳んでいるとある日駅の階段は三つくらいすっ飛ばして登った。私の足は鉄筋でできているという風に。ジーンズの中の足がスーッとしていた。 あれから病気もしたし母の面倒も看るようになったしだんだん数が少なくなって今は1000回をやっとキープだ。いつかはシャープな身体をめざして私は年老いてできなくなるまでやるのだろう、ナワトビを。 まだ続くナワトビ 20代は5000回跳んでいた、毎日。その訳は私は何をしても三日坊主でレース編みをしても完成できない。何か一つの事が続かない人だと思い、それを克服する為にナワトビを毎日やるときめた。1年間休まず跳んだ。跳べたからそれでナワトビは卒業したんだ、その頃。 それが私の何かやろうとする時のバネになっている。それでフイルム